結論として、私たちは大人の遊びを定義する必要がある。
なぜなら、私たち大人には代名詞的遊びがないからだ。
例えば、大学生。大学生の遊びといえば、サークル活動やカラオケ、ボウリングなど、
低コストなものに加え、男女の恋愛をエッセンスとしたものが多いイメージだ。
一方で、老人。彼らはゴルフ、囲碁、キャバクラ(金持ってるやつ)など、
高コストなものに、まったりとしたものが多いイメージだ。
偏見といえば偏見ではあるが、私は上記のように感じている。
それでは、私たちはどんな遊びをしているのか?
旅行、ゲーム、ドラマ、ゴルフ、ランニング?
正直、学生と老人と大差ないし、別に大人じゃなくてもできるのではないか?
私たちは若くもなく、年寄でもない。金がたくさんあるわけではないが、
全くないわけではない。年齢と収入の側面だけで見れば、私たちは学生でもなく老人でもないはずだ。その私たちは、遊びについて、他の人たちと代わり映えしないのは問題ではないか?
このままでは、学生によった大人と年寄によった大人のどちらかになってしまうのではないか?それなら、ずっと学生かずっと老人でいいと思ってしまうのではないか?
みんな大人になりたがらない。そんな社会になるのではないか?
仕事があるだろ!と言われればそれまでだが、みんな仕事が楽しいわけではないし、
遊びたいのは人間誰しも思うだろう。
だから、私は遊ぶ必要がある。
そして、定義しなければならない。大人の遊びとは何か。
探さねばならん。大人の遊びの代名詞。